2013年8月30日金曜日

甘藍の碑

甘藍の碑
鳥見に行く途中にJAあおば前という停留所があり立派な建物が道路を挟んである。
その建物の脇に銀色の甘藍のレプリカがあり背後には昔この辺りが一大キャベツ産地だったことを示す寫眞があり、この辺りの農家は目の届くかぎり生産していた記念として建てられた甘藍の碑、農協は古い名称甘藍をあえて使い、小さくキャベツと添えてある。現在住宅街でその面影は探したくてもない、土埃を上げて風が吹きどこまでもキャベツ畑へ一度来たことがあったが当たり前の農村の風景としか見ていなかった。西武新宿線と池袋線の間の練馬区の話しなんですが。


七草の咲きそろう秋水が好く   枯沼

5 件のコメント:

三四郎 さんのコメント...

中国語なんですね、初めて知りました。1945年以前でもキャベツはキャベツでした阪神間では。

ター さんのコメント...

我が町は、一面桑畑だったところに今は桑はなく、町名に1字を残すのみになっております。先人はいいセンスしてますね。
甘藍と言われても違和感ありません。僕らはそういう時代に育ちました。
昨日のコメント記入者名ボケナスは私でござました。
googleのハンドル名を変更し忘れました。(ご免なさい)

ISI さんのコメント...

小学生までいた炭砿の集落で、カイベツというオバちゃんが何人かいました。
どこか他の地方からの持ち込みでしょうか、北海道独自の訛りなんでしょうかねえ。

あべちゃん さんのコメント...

子供の頃疎開していた大分ではキャベツをカンランと呼んでた記憶がありますがーー間違ってるかな?カンカンだったのかな?

高校2年の時、同級生が鐘紡練馬工場の隣にあった子弟寮(転勤した社員の子弟が東京の学校に通うための寮)に入っており、遊びに行った事を覚えていますが、練馬大根の畑の中に赤レンガの工場と木造の寮があったのを覚えています。池袋から西武電車でそんなに時間がかからない駅だったと記憶しています。
((ググってみたらありました。http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E9%90%98%E6%B7%B5%E7%B4%A1%E7%B8%BE%E7%B7%B4%E9%A6%AC%E5%B7%A5%E5%A0%B4
昨日の昼食何食べたか忘れましたが、57年前の事は覚えてました。

さんのコメント...

三四郎 様

 そうでしたか、西洋語は敵性語だからと思っていたのですが地方により違っていたの
ですね。
ター 様

 弥生町をなくしてしまうご時世、それは素晴らしいですね。

ISI 様

 道東はキャベツのようですね、富良野の薬局には胃薬カイベジン迄あるとか本当かな。

あべちゃん

 練馬は大根と思っていたらカンランが先に碑になった、と言うことは大根は未だ
作られているのかな。当時は見渡す限り大根畑でしたか。