2013年8月19日月曜日

アサヒグラフの原爆写真


確か中学1年だったかと思うが母の実家で従兄たちがわいわい言いながらアサヒグラフの写真を見ていた、まだテレビがなく定期的に刊行された写真ニュースが一つの情報源であったようだ。それは世界で初めて原爆の被害のもの凄さを世に知らしめた特集号で従兄弟たちは衝撃が強すぎるから見ない方がよいと見せてくれなかった。名古屋東山公園付近では空襲か東南海地震の被害の区別はつかないが黒く焼けた死体が何体も放置されているのを見ているから見せてくれと言ったがついに見せてくれなかった。それを暫くしてどこか見る機会があったが一瞬で人間の身体が炭に近い状態になった凄惨な写真に鳥肌が立ったのを覚えている、当時はあまりの酷さに批判があったように記憶がある。

ヤンマいて縄張りめぐり争いつ   枯沼


2 件のコメント:

zenzii さんのコメント...

原爆作家と言われた<太田洋子>
あの悲惨な原爆を飯の種にしているとずっと批判を浴びてきました。GHQはもとより、ペンクラブからもと記憶していますが。その社会的な制裁が元で病んでしまったと言われます。
僕はあの惨状を写真ではなく、太田洋子の作品から受け取りました。

さんのコメント...

zenzii 様

  そうでしたか、被爆国でも公開されていなかった現状を公開した反響は大きかったようですね。今まで太田さんという方を知りませんでした。