2013年2月11日月曜日

赤い旗回想

初めて北海道へ転勤した町は過疎ランク一、二番の町で東京から生まれて初めて所謂田舎へ引っ越したので小学生だった子どもは極めて印象深く成人になっても町の事を在道の友人と連絡し話題にする。
冷え込んだ日曜日に赤い旗が話題になり冬朝7時に零下30℃以下であると小学校へ通じる山道、分岐路など指定された場所に小さな赤旗が立てられ、登校時間を一時間遅らせる合図が出る。
先日聞いた話しでは現在は零下30℃になっても親が共稼ぎで出かけてしまうので子供だけ家に置き通学時間に登校させることが出来ず廃止になったそうだ。吹雪いたり雪崩たりする道を遠い子は一時間くらい子供だけで歩かせて通学は出来ないから寒くても登校せざるを得なくなったそうだ。吹雪いたら家自体孤立する可能性すらあった。
もう一つは先生が赤い旗が題名の新聞を親に購読させ毎日教室で子供に持たせ家庭へ届けさせていたようだ、我が家へも担任が購読の勧誘に来たが購読しなかったので娘が級友から奇異な目で見られたらしく取ってくれとせがまれた。娘も就職し断った理由が理解出来るだろうが酪農か甜菜しか作れない寒冷のおざっぱでのどかな過疎の町で過ごした我が子の記憶に残る赤い旗。

春が来て祝う船無し岬町   枯沼


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