テレビ放送が始まった時は東京でNHKだけでした、すぐに民間も開局したと思うが都内に放送毎の送信アンテナが立てられていた。そのNHKだけの頃に父はテレビ広告の仕事をしていた。その一つがNHKの放送に広告料を払わなくても広告が出来る事は無いかを観ていた。その中で公共の場所から中継する番組は可能性があり,NHKでも入らないよう注意苦心していたと推測する。目を付けたのが大相撲中継で取り組みの間に土俵と周辺を整える仕事をする若い方、呼び出しさんは無地の白い和服で袋袴で今も変わりない和装ユニホームだが、この無地の着物に屋号を入れる事の気付き、そう時間が掛からず「なとり」が実現した。このほか野球中継の球場の看板広告をオールスターの時は変える事や内外野のフェンスの広告も目立つデザインへ変えていた。親父は何も言わなかったがテレビを観る度に変化があった。今ではスポーツに限らず中継される場所に目立つテレビ用広告が日本でも当たり前になっている。なんでか知らないが両親、親戚の叔父叔母、級友が思い出されてならない。思い違いがありましたらお許しください。
朝晩の気温差あり寝巻冬 骨々
公園の草競い咲く支度して 骨々
0 件のコメント:
コメントを投稿