初めて東京へ出て来て滝野川に住み、しばらくし新宿大久保の焼け野原にバラック建ての家が建ち始め、その中にザ・バラックを父が会社の紹介で購入した。土地は焦土で赤レンガ色をしておりお屋敷の基礎がそこに残っていた。転校した小学校の級友となる花やの子息がおられ親しくして貰い今でも続いている,彼は日本を代表する近代物理学の権威となられ筑波にお住まいだ。その彼のお宅は生花店を経営されており近所にライバルも無く朝からご両親は忙しい日々だった。そこで毎朝「オサカキ」下さいと来客が多く来て僕は邪魔だった。そのお榊が何に使われ飾られるのか我が家では分からず、何に使うのか宗教が違ったので分からなかった。榊と書き神棚に捧げる植物である事を知り、世には種々の事がある第一歩となった。
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