昨日は74回目の敗戦記念日。幼子当時の呼び方では少国民だったから、一日の大人の動きをよく覚えている、前日疎開先へ父が天皇陛下の敗戦のラジオ放送があると戻って来た。当時、父は現在の電通(当時は日本電報通信社)というニュースを取材販売する会社に勤務していたので、最新のニュースを運んできたわけだ。疎開先の滋賀県は朝からよく晴れた夏空に双胴のロッキードP-38、その他艦載機がブンブン飛んでいたが外へ出ても撃たれないはずだが今日は出るなと言われ縁側から見ていた。国が降参し敗戦国となった事など理解出来なかったから、空襲が無くなる事が大きな喜びだった。季語で八月十五日を見たら種々の呼び方の中に敗戦日というのがあった、もう戦争は止めて欲しい、駅や盛り場で見た戦災孤児が哀れで忘れられない。
あの白雲青空見れば終戦日
あの白雲青空見れば終戦日
2 件のコメント:
雑音の多いラジオで玉音放送を聴いたけど、子供には何のこっちゃ?でしたね。大人に訊いたら、「戦争に負けたんだ」と教えられた。だから、ボクらには8/15は敗戦記念日という言い方がぴったりなんですが、今は、どうもそういう呼び方はしないようですね。以前は一般的に終戦記念日とか終戦の日とも言っていたと思うのですが、それも見かけなくなったような気がします。記念日の決め方に難しさがあるからなのかな?
ところで、電通が広告代理店専業になったのは昭和11年で、前身は通信社だったのですね。会社名の電通の意味がわかりました。ありがとうございました。
ター様
がーがー何言ってるのか分からないラジオ放送でしたね。電通が国策通信会社の一員となり
広告専業になったのは昭和11年でしたか。静岡支局に昭和22年ころ転勤になり日本電報通信社静岡支局の
多くな立て看板があり、夜中に電報の依頼に来た方がいました。その頃は広告専門で24年ころ「電通」に改名しました。広告を出す人が無く給料が貰えない日々が中学頃まで続いたようで親は苦労してました。
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