2018年5月8日火曜日

早や

 奄美地方に梅雨入りが発表されたとテレビから聞こえてくる。台湾の基隆(キールン)が梅雨前線の西端で雨降りの町から梅雨が始まると観光案内に書いてあった。僕が駐在している頃は五月十日頃に梅雨が始まった。日本南部の梅雨入りは台湾より10日くらい遅かったはずだが、もう奄美地方とは早すぎるのでは。昨年は雨不足だったが今年はそこそこの雨量だったから飲み水が不足することはないだろう、そう願いたい。空襲で水道が破壊され戦後になり修理され開通したので、どうしても水不足の恐怖がある。もう80歳に近づいているのに飲み水、地震、食べ物のの恐怖がある爺さん。梅雨入りの正確な日時は9月になって発表で、今日のは 梅雨入りした模様 だそうだ。

薫風や出店夜店も吹き抜けて    枯沼
色淡く禾も枯れ来て麦秋す     枯沼

2 件のコメント:

治 さんのコメント...

わたくしは飲み水の欠乏はそれほど記憶にありません。
昔の地震の時はどうだったか覚えていないが,
たぶん井戸があちこちにあり飲み水には困らなかったのでしょう。
2011/3/11の東日本大地震ではしばらく断水したが,
家にはなぜかペットボトルの水の蓄えがたくさんあった。
ただ忘れかけていた地震の恐怖が呼び覚まされ,
いまだに小さい地震にも身構えてしまいます。
しかし,食べ物のない記憶は消えず,
飽食の時代のいまも食べ残しができません。
残しても家では次の食事で食べるからいいけど,
外食では苦しくても残せません。

さんのコメント...

治 様

 新宿駅西口に美空ひばり、吉永小百合が通った学校やテニスコートがあった場所から現在に変わったのが昭和39年、淀橋浄水場が高層ビル群にその時に変わり、工事の関係か断水が続いたのでした。それに輪をかけたのが雨不足。
河野外相のおじいさんの号令一過、多摩川系統と荒川水系の給水が繋がり、東京五輪も水の不自由なく
開催されました。僕は郡山へ転勤となり最後はおりませんでしたが。
食べ物は全く同感、震災に関しては僕より経験されていますから無理のありません、僕も名古屋での
昭和19,20,21年での震災の幼児体験が抜けません。
残りの人生の平安を祈念します。