今日の話しも会社のOB会の話で一昨日向島を散策し、江戸の風物が残っているかと思ったが大川の向こうも都市化され唯一向島百花園だけが名残をとどめていたが周囲は近代的な建物に囲まれて池にスカイツリーが映り込んでいた。もっと広い庭かと思ったが文人墨客が遊んだわりには規模が小さく東京湾と荒川の湿地帯に出来た江戸にしては大きな植物園だったのだろう。考えてみると関東大震災、東京大空襲で焼けつくされた地帯によくぞ石碑だけでも残っていたと感心した。一帯は夏祭りの季節で、どこも提灯が下がり祭礼のポスターが貼ってあった。どれくらい江戸っ子が残っているかしれないが祭りだ!祭りだ!と心浮き立っている方もおいでだろう。二枚目の写真、ポスターを撮らせてほしいと断りを入れたら、これは私が書いた原画だと自慢された。最後に鳩の街を通り駅へ向かったが、初めて来たけれど全く痕跡が無く昼までは特にそうなのだろう。小説や映画でしか伺い知れない車がすれ違えない街だった。
どの町も支度忙し夏祭り 枯沼
夏の昼面影消えて鳩の街 枯沼
名園の草茂るなか夏薊 枯沼
どの町も支度忙し夏祭り 枯沼
夏の昼面影消えて鳩の街 枯沼
名園の草茂るなか夏薊 枯沼
4 件のコメント:
向島とか根岸などという地名を見たり、聞いたりするとつい時代劇の世界に入り込んだ気がします。どちらも訪れたことはありませんが。東京は、いつのまにか、私には遠い世界になってしまいました。
目が覚めたときに見たら昨日のままだったので〇の攪乱かいな...? と思っていました(笑)
私にはターさんが呈された疑問がいまだに解けないまま残っております( ..)ヾ ポリポリ
三四郎 様
江戸の川向う、農村だったところでしたが、徐々に人が棲み始めたようですね。
ターさんの件ですが、330分停まっていた電車に乗った人は遅れでいますが、動き出した電車に乗った人は
待っていたわけではなく、たまたま駅へ来たら電車は時刻表より遅れていたでしょうが、その人には遅れは
関係ないと思います。走り出した電車は速度を上げ空白区間を詰めようとしてますね。いつもより早く着く人が出てきますね時々。
横レスごめん。
三四郎さま、谷根千に遊んだ折、団子など食らい、前のお寺(善性寺)を覗いて、少しだけ、根岸の香りをかがれたかと…。梅雨まじか 根岸の里の わび住まい なんちゃって。
沼さん、
百花園は、元々、江戸の商人の別邸でしょう?広さは望むべくもないと思います。池に、影が映りこむだけでも素晴らしい。文人が通った頃は、わびさび、かな?
征郎さま、
羽二重団子のお店でそういえば…。お寺よりもその背面のタワマンに私のレンズは向いておりました。
6年前のちょうど今頃。まだ、膝の痛みなど全くない頃(笑)
みなさん、歩幅が広くてびっくり!
コメントを投稿