十一月第一日曜日はほぼ世界のキリスト教会で天に招かれた人々を記念する日で、普段さぼっている私も父の葬儀を出して貰った教会へ行ってきた。私の兄妹すべて集まる筈であるが宗教の自由を旨としているので来られる意思のある人としている。それで弟そしてこの教会へ父の葬儀が縁で通い始めた義弟、わが夫婦が参集した。歴史がある教会で死者の人数が多い、それだけ縁者も多く会堂に入りきれない。一年に一度の集まりは一時間少しの簡単なもので最後に毎年であるがこれまでの死者全員の氏名を読み上げる、これが長い。500名を越えたらどうなるのか、僕は呼ばれる方に入っているから辛抱出来るかもしれない。そうだ僕は家族葬だ。
霜降や花も終わりと蝶多数 枯沼
3 件のコメント:
眩暈の日に続いて死者の日ですか!頑張ってください!!
ところで、家族葬でも宗教に則って行うのではないのですか?(家族だけで教会でやるとか--)
いずれ死者の日に名前を呼ばれるわけですね。
私の場合は家族葬ですが浄土宗の僧侶に来て頂いてお経をあげることにしています。
会葬者に念仏を唱えることの強制はないわけで、家族だけが念仏を強制される予定です。
足の痛みとめまいは大丈夫だったようですね。同じショウテンでも昇天されるにはまだ早すぎますよ。鳥見など自重されますように。W
あべちゃん さま
親父と妹はこの教会で葬儀をしました。僕は単純な家族葬で終わりにする積りですから呼ばれません。しかし娘が格好がつかないから自分の教会へ来いと家人と二人を誘います。遠くまで
来ていただくのも大変で巣から自分が納得する方法で骨にし両親の隣に並べて貰いたいですね。
断固そうする積りですが。
ター さま
現在仰ぎ見る、或は寝て頭を動かすのが一番悪いです。足は痛みますから交通機関と駅を選んで行動してます。ほとんどの駅にエレベーター又はエスカレターがありますから助かります。
鳥見の自重が難しいですが慢性になっては困りますから。
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