2013年8月16日金曜日

僕の敗戦の日回顧

空襲を窺う僕みたいなカメ
ちょうど今頃は通信社勤務の父が仕事柄知りえた情報を持ち家族の疎開先へ来て、お昼に天皇陛下の放送があるからとラジオのある農家へ田圃道を歩いていた。天気は晴れ、青い夏空に白い雲だった、陛下は難しい口調で理解出来ず父から日本が戦争に負けて空襲が無くなると解説されうれしかった。疎開してからは少し食糧事情はよくなり朝から東山公園電停の食堂に並び雑炊ともつかず海草でどろどろのフノリ汁を食べなくてもよくなったが何時になったらご飯が食べられるのか、この問題は小学校へ入学してもついて回った。時々テレビで戦争中の雑炊が出て来ていろいろな野菜が入っていておいしいと発言する平成生まれらしい若者に正しい歴史考証した塩や煮干しすらなかった時代の食べ物を食べせてやってほしい。最近何だか世襲制議員が増え先祖が戦犯だったりして同じ事を繰り返しそうなのが気にかかる。日本は戦争に負けたのだ、もう一度我々の祖父、父は何をしたのか、どこが悪かったのか十分検証し反省が必要だ。空襲も飢えも知らない口だけの体験だろうから、やる気なら第一線で戦ってみろ、出来ないから。
海外でどれだけ日本人が迷惑をかけてきたのかを考えてからにすべし。

戦犯の祖父の真似して赤とんぼ   枯沼 

3 件のコメント:

山爺 さんのコメント...

戦争の実体験のない評論家や著名人が、戦争と平和を訳知り顔でマスコミで語っているのを見ると、違和感を覚えます。
喧嘩両成敗、どちらも悪いが負けた方がすべて悪いように歴史にのこされ、後世になってもその烙印は消すことができないのです。

三四郎 さんのコメント...

山型の真空管ラジヲから聞こえてきたのは雑音だけでした。国道の山側にあった親戚の家は阪神大空襲で焼け、叔父の次男は遺骨で戻ってきました。国民学校二年生の僕にはこの日から赤貧の日々が始まったこと以外は記憶にありません。空の色も雲も…。

さんのコメント...

山爺 様

 今次大戦を引き起こし事実上宣戦布告せず、昭和の時代から為政者軍人のレベルが下がり、それを引き続いている気がします。明治維新を起こした若者が見たらどう思うでしょう。
ドイツのように異国民への損害はきちんとすべきだったでしょうね、今になって騒がれるのですから。

三四郎 様

 戦時中の記憶は鮮明ですね、夜中に起こされ防空壕へ避難しバリバリ空襲され
 食べ物はなく死体があり。僕は終戦後の一年生ですが病気以外の記憶がありません。