2013年3月10日日曜日

童謡歌手がいた時代


今朝行儀悪く新聞を見ながらパンを食べていた、例により休日は広告が多くしかも懐かしのメロディーや往年の流行歌手のアルバムや当時人気のあったジャズ歌手のアルバムが二面にわたって載せてある。よく見ると懐かしの童謡歌手と童謡のアルバムがあった、曲を見ると金魚の昼寝、かわいい魚屋さんから早春賦に至るまで百曲余あるのではないかというほど沢山。歌手も小鳩くるみ、川田孝子など列挙したら諸兄姉が懐かしいと思われるであろう、テレビなど無い時代で与えられるままNHKラジオ放送にかじりついて聞いていた時代だったから歌い手に記憶のある方もお出でだろうが僕らはほぼ同年代の子供であったから健在であればほぼ同じ姿格好・・・知る限り由紀さおり姉妹が今だ現役。この頃に歌われ聞いていた童謡や唱歌で耳に焼き付いたり琴線に触れた歌が懐かしいとか想い出深い歌なのだろうと思った。

花未だと群落見ればニリンソウ   枯沼





5 件のコメント:

治 さんのコメント...

わたくしも昨年受けました。
あまりよく憶えていないのだが,
太陽系の模型みたようなもので
視野を測ったように思います。
あれは大兄のご先祖様の発明でしたか。
ものを見ればすぐ原理を理解できる測定器だが,
無から考え出すのは大変なことですね。
創造とはどれも志と汗と忍耐の結晶でしょうね。
すばらしい。

治 さんのコメント...

すみません。
これは昨日の「高齢者講習の終了」への投稿でした。

ター さんのコメント...

貰い物ですが、「日本の美しい歌ベスト120」という5枚組のCDを所有していて、静閑な日にBGMとして流すことがあります。こういうものは本当に好きでないと、自分でお金を出してまでは買えませんね。

三四郎 さんのコメント...

笛吹き童子や鐘の鳴る丘などもラジオから流れていましたね。高校生の頃ですが定期テストで早く帰宅すると勉強もせずに擦り切れた畳の上で第二放送で流れるモーツアルトも好きでした。5球スーパーラジオ。スーパーだからグッドよりも上だったのかな(笑)

さんのコメント...

治 様

 どのような経過で考えたのかはしりませんが何もない時代に貧乏医者にとっては大変だった
 ようで長男であった父は色々なこと手伝いをしたらしく、この装置についても蝋燭のススで
 黒く塗った(覆った)と話してくれました。大正初期は全て家族ぐるみだったのでしょうね。

ター 様

 不要不急の品物を慈善の意味を含めて仲々買えませんね、今は被災地の品物を極力買うことで
 一杯ですね。我々が昭和39年から一番お世話になった福島県しかも原料が来ていた地帯が手抜き経 営での事故でダメになったのですから。今も山木屋の事をやってましたが。

三四郎 様

 ヒャラリヒャラリコ・・・・。緑の丘の赤い屋根・・・今でも覚えていますよ、岩波文庫の小学唱歌(?)も二回買いまして音痴を遺憾なく発揮していました。五球スーパーラジオは就職して自分で買っ て独身寮の寝床の前においていました。ラジオが情報供給源で休憩時間の話題が同じだったのが懐か しいですね。懐かしいと思われる方が多いから売れるのでしょうね。