セミナーハウスの茶室 |
南禪寺天授庵 |
むかしの家は明治以前のガラス障子が無かったあっても障子だった時代は冬寒かっただろうと思う。暖房も都市では火鉢だし下着も江戸以前は長袖の下着は庶民には無かっただろうし防寒対策としては紙のちゃんちゃんこみたいなものを着物の下に着たと聞いたことがある、和紙だから丈夫だったろう、家では綿入れも着ただろうが公式の場ではどうしていたのだろう。大河ドラマ平清盛に登場した家屋は障子張りでよく長時間座っていられたと思う。日本の家屋史と服装史を調べないで書いているが家屋の構造や建具から見て冬は部屋の中で氷がはっただろう当然僕は死んでいた。
紅葉見て息飲む人の列長く 枯沼
天授庵 |
4 件のコメント:
清盛は耐えられなくなってリタイアしましたが、再放送の時代劇は録画してまでみています``r(^^;)ポリポリ 冬でも素足、信じられません。時代考証はそれなりにしているはずでしょうけれど。
三四郎 様
方丈記に出てくる庵でも布団もない庵によく住んでいられたと最近タブレットに無料
で導入し読み直し驚き、これを書いた原因です。
大昔に戻らなくても、子供の頃は充分寒かったですよ。
小学校時代寒い日は「押しくらまんじゅう」で遊んだし、学校でストーブの石炭がなくなると、先生が率先して校庭に出て天突き体操やったもんです。
沼さんも死んでないじゃないですか(^-^)
あべちゃん
子供の頃も寒かったね天突き体操懐かしい言葉ですね、寒くて死にそうです内燃機関を
働かさないと寒い。
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