鉄道唱歌
右は高輪泉岳寺四十七士の墓所雪は消えても消え残る名は千載の後までも と歩きながら鉄道唱歌が口先に出てきた。落ちた銀杏を避けて歩かなければならずくつ底に付くといつまでも臭いので気をつけ、同行者とも会話し鉄道唱歌の続きを思い出そうと僕にしては聖徳太子みたいな事をしていた。最初に鉄道が引かれた時は波打ち際だったし高層ビルもなかったので坂の上の泉岳寺は見えただろう、作詞者は実際に見たのか想像だったのかは知らないが一番の歌詞が良い。ググってみると東海道線、山陽、東北くらいは分かるが満州等まで亜流が出来ているそうだ。ここで疑問が出て来た 愛宕の山に入り残る月を旅路の友として とその前にあるが夜明けの月を右側に見て走るのは陰暦何日ころだろうか、実際に起こりうるのだろうか。
まあ愛宕の山に月がかかる事自体が都内では一番高い場所だが山の端に入る月などありえないと僕は思う。
義士祭り蕎麦数打つや角の藪 枯沼
5 件のコメント:
角の藪って…???
三四郎 様
第一京浜から泉岳寺へ曲がる角に蕎麦屋の藪泉岳寺前店が
ありまして当日は大繁盛でした。
あ、そうか、「藪蕎麦」があるのですね(^_^;)
三四郎 様
そうなんです、角の蕎麦屋が藪でした。藪にするか蕎麦と蕎麦屋が重複させるかと
考えたのですが、あの藪であれば知っている方が多いからと考えたのですがローカル過ぎた
と反省しております。
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