2021年8月12日木曜日

玉川上水の終わり



羽村堰で多摩川から分かれた水は玉川兄弟の努力により武蔵野が拓かれ耕作が出来る様になり飲み水、水運、水田など可能になった。その水が利用され最後は此処から神田上水へ暗渠で廃水されている。江戸時代は種々の分岐があり、それを知りたいが簡単な意気込みでは不可能なので止めている。玉川上水の水は代田の処理場へ送水されていたようで、此処を通らず水道道路が武蔵境の処理場から代田処理場へ送水されている。この武蔵境処理場の処理に使った廃水を玉川上水へ流している。水量や流速は当時の量や勢いはない、何しろ都民の飲み水だったから。私も資料全て取り寄せ読んだ訳ではない。間違いはお許しください、申し上げたいのは上水の復元された水は此処から地下へ入り廃水されている事だ。太宰が入水心中を図った時はもの凄い水流の水道水の原水だった事。

上水や此処でおしまい葉月入り 枯沼


 

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