2019年10月17日木曜日

治山治水

今回の台風は国を挙げてやらなければならない国土を固めるという国を治める基本を思い出させてる。戦国時代の武将でも自分の国を治めるには治山治水をおろそかにしてはならないと自ら工事にのり出した武将が幾らでもいたではないか。その武将の名をつけた堤や改良した流れを地方へ行くと名所として今でも見られる。昨年までの西日本、今年の関東東北いずれも流れを変えたり堤を丈夫にし備えておれば、このような国の恥をさらけ出す事は無かったと思うのだが。その地域地域の先人の教えを調べ、八田與一さんのような方までいるのだから。

何処行けど木犀かほる国の中       枯沼

2 件のコメント:

ター さんのコメント...

木曽川の御囲堤。家康は美濃側より高くつくらせた。だから洪水が起きるのはいつも美濃側。おかげで美濃側に輪中が発達した。当地にはそんな歴史がありますよ。

さんのコメント...

ター様

 各地の殿様が自国を守るため種々考えたり識者にい健康たのでしょうね。
郡山の工場の跡も、また浸水したかな、工業団地がかなりやられてるようですから。