2018年9月21日金曜日

9.21 の大震災

夕刊を読んでいたら1999年9月21日深夜台湾中部でM6.7の大震災があり2400名も亡くなったと回想記事が出ていた。僕が生まれて3回目の大震災に遭遇したのだ、マンションが壊れるのではないかと思うほどの激震、停電の中コンビニへ走り水を買って来た。震源付近にある工場へ出かけたが高層マンションが折れたり、根元から倒れ道路挟んだ向かいのビルと人の文字のように支えあい、その下の道路を車が走っていた。2400名も亡くなっているとは今知ったが、最大の僕の被害は冷凍庫に大量にしまっておいた帰国の度に買いだめた魚の干物、特にデビラカレイ10枚以上、アジ、サンマ、サケの切り身などなど、電気来なけりゃただの箱でした。もうあれからそんなの経つのだ、2000年に自動制御を支障なく動かすために2年以上準備していた仕上げの時だった事を思い出した。

七輪で秋刀魚焼く夕月円み       枯沼
月明り街燈に負け陰もなく       枯沼

2 件のコメント:

ター さんのコメント...

誠にお疲れ様でした。1999年といえば、国内は2000年問題でテンヤワンヤでしたね。ボクは後釜の急死で引退が1年伸びた年でもあります。光陰矢の如しです。

さんのコメント...

ター 様

 あの準備から判断すると夏の間時間を繰り上げるのですからサマータイムは今からでは
とても無理でしょうね。ATMと自動改札位なら何とかなるにしても各工場や事務所の自動制御は
どうなるのでしょうか。
北電のブラックアウトの様なことが各所で起きると思うのですが。