2016年9月15日木曜日

中秋の名月

写真の代わりに有名な詞をどうぞ

水調歌頭
丙辰中秋,歡飲達旦,大醉,作此篇,兼懷子由。
明月幾時有?把酒問青天。
不知天上宮闕,今夕是何年。
我欲乘風歸去,又恐瓊樓玉宇,高處不勝寒。
起舞弄清影,何似在人間?

轉朱閣,低綺戶,照無眠。
不應有恨,何事長向別時圓?
人有悲歡離合,月有陰晴圓缺,此事古難全。
但願人長久,千里共嬋娟。

今日は旧暦8月15日中秋節です、十五夜のお祝いをする風習も廃れたというか芒を活け、三宝に団子を盛って縁側に置き月の出を待とうとしても縁側のない住宅が多いし我が家のように月さえ部屋の中からは見えない住宅では出来なくなりました。三宝も正月の飾りをする床の間が無い住宅では出番が無く転居を重ねるうちに無くなった。
今日は写真の代わりに彼が好きだったトンポローで有名な蘇東坡の水調歌頭をテレサテンが歌っているのでご存知の方も多いと思いますが中秋節になると台湾の方はこの詩を思い出すようで僕も覚えたのですが、わすれていました。蘇東坡が満月を眺めて、中秋の名月はいつから出ているのと深酒し聞いているようです。

現代語訳:
明月よ、いつから空にかかっているのか 盃を手にしながら青天に問う
天井の宮殿では今宵は何年の中秋にあたるのだろうか
自分も風に乗って天上の世界に行ってみたいが、月宮殿は高いところにあるから寒くて絶えられないだろう
せいぜい地上の舞を楽しもう やはり人の世の方が居心地がよい
明月は朱色の高殿をめぐり 綾ぎぬの帳をかすめ 眠らぬ人を照らしている
別に恨みのあろうはずもないのに 何故別れの時に限って満月になるのだ
人には悲歡離合があり 月には陰晴圓缺がある 古からこのことを完全な形に保つのは難しい
ただ人がとこしえに 千里の距離を離れていてもこの月の輝きを共にせんことを願うのみだ。

背景解説:

熙寧七年(一〇七四)杭州での任期が終わった蘇軾は自ら志願して密州の知事になった。密州は現在の青島のあたりだが、同じ山東の済南に弟の蘇轍が書記として仕えていた。杭州と異なって密州は貧しい地方であったという。加えて官吏としての蘇軾の生活も杭州時代より質素なものにならざるを得なかった。それは土地の豊かさの違いというよりは、新法による人民の生活の窮迫が、蘇軾のような実直な官吏にも及んできたということを意味していた。そんなところから、蘇軾は次第に政府の施策を批判する詩を書くようになる。それがやがて、対立派による罪状のでっち上げと、投獄、流罪へとつながっていく。だが詩人としては、蘇軾はこの時期を飛躍のきっかけとした。杭州時代よりも内省的で緻密な雰囲気の詩を作れるようになり、偉大な詩人へと脱皮しつつあったと評価できる。密州時代を代表する作品は、中秋の名月を歌った詞「水調歌頭」である。

4 件のコメント:

三四郎 さんのコメント...

昨晩は雨月か無月でした。台風の影響かな。昔は、今よりずーっと貧しい暮らしでしたが縁側で月見を家族でしましたね。ススキは近くの河原でとってきて。まだ家にtvなどない時代でした。

さんのコメント...

三四郎 様

会社へ入ってこの辺りへ仕事で来た事がありますがススキが生え畑、麦畑で
お供えのススキは充分にありました。
幼いころ母が多分取っておきに粉で団子を作りお供えし月が縁側を照らすと
お団子を食べた記憶があります。あの辺りもススキの原でした。

治 さんのコメント...

わっ,今日のはすごいですね。
訳と解説がなく文字を追ってもとてもわかりません。
それらを読んだ後で
ようやく本文をなんとなくわかった気になります。
和魂漢才というが和魂にも漢魂がだいぶ移入してるように感じる。
その後で前口上の「子由」を親友の名前とすれば
これもわかった気になります。
それでよいのかな。

さんのコメント...

治 様

 街の中国語会話教室中退で中国語や文学を正式に学んでいないため詳しい事は分かり兼ねます。テレサテンという歌手が自分の持ち歌で一番好きだと語っているのを知り、当時の我が国の流行歌手で自国の古典を歌う人がいる事に驚きました。一度彼女が歌うこの詞を聞かれたら感動します、台湾のCDでもなかなか見つからないのです。