2016年8月29日月曜日

別荘



避暑や避寒の目的で山岳地帯や海浜に住宅を持つ、家を二軒持つ維持費だけでも大変で庶民には高嶺の花。有名な別荘地へ来て見て先ず運転免許を家族全員が持つ必要がある、広い針葉樹の林の一部に住居を建て夏の三か月、冬の一月利用している。この建物が又本宅に匹敵するであろう素晴らしい建物だ。大正か昭和の初期に著名な政治家や宗教家が避暑に使われた家が現存しているが、さぞ不便な生活をされておられたと思う。今なら車さえあれば町にある商店や国道のスーパーへ日用品を買いに行けるが車が自由に使えなかった時代は御用聞きが来たのであろう。周囲は林、コンビニすらないし、買い物に歩いては到底行ける距離ではない。不便だから土地代が安いかと思うと不便で静かだから住むのに良さがあり価値があり駅前付近に住んでいるのは避暑じゃないよと仰ったのは親の代からお住まいの方だった。

まだ夏と余るほど生くななかまど       枯沼

7 件のコメント:

ISI さんのコメント...

元の勤務先の寮が軽井沢にありました。研修や個人的集会で二、三度利用したことがあります。
周りには瀟洒な、あるいは豪華な別荘が見え隠れしていましたが、田舎の貧乏人(ボクです)には、わざわざこんな山ン中で金や時間を費やす意味がよく判りませんでした。

三四郎 さんのコメント...

``昔、すんでのところで「別荘」に入れられそうになったことがあります( ..)ヾ ポリポリ

ター さんのコメント...

旧研時代、中軽の保養所のテニスコートへテニスをやりに毎年通いましたが、沼さんは参加しなかった?中軽駅前の著名なそば屋へもそのたびに行きました。今もあるのかなぁ・・?
屋号は「かぎもとや」だったか?文豪たちのサイン入り色紙がいっぱいありました。

さんのコメント...

ISI 様

 私は初めてでした。ご維新後に日本へ来た宣教師の方々が夏を越せない欧州たちの夏の住まいで高級住宅ではなかった。避暑地と聞いたご維新で余得があった方々が不要だが見栄で
作られたのが始まりと私は淡い知識から想像いたしました。
知事公館が似ていますね、あの辺りに住みたいと思うのですが子供たちに退職金と年金から答えが出るだろうと笑われました。

三四郎 様

 そんな事があったのですが、特別高等警察(笑)

ター 様

 今、軽井沢駅が中心で中軽はさびれていました。鬼押し出しへ向かって右側にそのような名前の店がありました。何せ初めての軽井沢でしてしなの鉄道で中軽へ行き歩いて戻ろうとしました。途中で右足が痛みだし一時間に一回のコミュニティバスで戻りました。新幹線が全てを破壊したような印象です。

三四郎 さんのコメント...

中らずと雖も遠からず…です( ..)ヾ ポリポリ

山爺 さんのコメント...

暑ければ冷房、向ければ暖房の今時、避暑や避寒で出かけることもない良い時代に生きられると感謝しています。

さんのコメント...

山爺 様

 そうなんですが使い切れないほどお持ちの方々は別の考えがおありなんでしょうね。
パソコンは如何ですか、使いこなされているようですね。