2016年8月16日火曜日

終戦記念日

あの日は朝から晴れて夏空だった。疎開先の滋賀県日野町の隣村の上空は今まで恐る恐る見ていた敵機双胴のロッキードP38を初め種々の飛行機が乱舞していた。昼に陛下の放送があるのでラジオのある農家へ行くことになっていた。この青空は戦争が終わったと教えられ、特に印象深い夏空。長じて終戦の日の話しになると大抵の方が忘れられないよく晴れた青空と言われる、それくらい戦争が終わるということは衝撃だったのだろう。
PCが不調で写真が取り込めません.Win10の弊害が出て来たのかもしれません。

4 件のコメント:

三四郎 さんのコメント...

敗戦の日の記憶がぽっかりと抜け落ちています、私は。その日前後のいろいろな記憶は鮮明に残っているのですが。不思議です。一番怖かったのはまだ愚かな軍部が戦を続けているとき海岸の砂浜で子供同士で遊んでいるとそれをめがけてグラマンが急降下。子どもめがけて機銃掃射(わざと的を外した馬鹿米兵の遊びかもしれません)。あわてて堤防下の共同防空壕に逃げ込んだことです。空襲警報下海岸に出て遊ぶほうが馬鹿ですけれどね。

さんのコメント...

三四郎 様

 日野でグラマンが田んぼのあぜ道に居た子供たちに機銃掃射し縮みあがりました。
制空権が無いのですから屋根すれすれに飛んだりやりたい放題でしたね。
戦争を知らない若者が為政者になると困ったものですね。

征郎 さんのコメント...

会津の山の中でも晴れていました。
玉音放送は聴いてなかったと思いますが、兄が走って帰ってきたのを覚えています。

さんのコメント...

征郎 様

 小笠原高気圧に全国が覆われたのでしょうね。父に確認出来なかったが15日に疎開先に急に来たのは勤務先の通信社では知っていたのかもしれません。