2013年2月2日土曜日

学校給食の鯨の竜田揚げ


テレビで昔の学校給食を公設の展示館で紹介しサンプルとしてもう一度食べたい献立として鯨の竜田揚げが紹介されていた、刻みキャベツや色取りにトマトまであった。
僕は名古屋市で終戦翌年小学校に入学しいつ頃からだったか記憶にないが給食が始まった、身欠きにしんの煮つけか鯨肉の煮つけだが筋があり特有の臭気が臭くて食べるのに苦労した、テレビで紹介されたような食堂で今出てくる料理のようなものでは卒業まで無かった。物流が発達しておらず学校にも貯蔵施設もましてや冷蔵庫もなく南氷洋から冷凍されて来たとしても学校へ届いたときには氷解し旨味は流れだし腐敗しているに等しい状態だったはず。あの当時竜田揚げを作る植物油もなかったし醤油も塩もない状態だった、これは全国どこでも同じ状態だったろう、それが似ても似つかない高級は竜田揚げだ、学校給食資料館であるならば未だ体験者が大勢いる間に史実に忠実に再現すべきだと僕は思う。

ヒイラギやみどりかがやき出番待ち     枯沼

4 件のコメント:

三四郎 さんのコメント...

進駐軍の払い下げ品が珍しく且つ美味しかった記憶があります。チョコレート、粉末乾燥卵など。鰯の団子も食べられましたが鯨だけはちょっと…。でも、贅沢を言っていられない時代でしたね。海に近い場所で暮らしていましたから海水で自家製醤油もどきやソースもどきなどを親が作っていました。

征郎 さんのコメント...

給食のおかずのことは殆ど覚えていません。弁当を持って来られない子が居たり、家に食べに帰ることがありました。給食といえば、コッペパンとトマトジュース、さもなくば、脱脂乳。それでも、口に入ればよかった。中学は弁当だったので、おかずに苦労してもらったんだろうと思います。

ター さんのコメント...

贅沢を言っていられなかった時代ですから、ありがたく頂戴しましたよ。でも、美味しくはなかったことは確かです。

さんのコメント...

三四郎 様

 進駐軍の援助物資はその次のstepでしたね、こんなにおいしいものがあるのかと驚きました、但し
 不味い脱脂乳を除いて。道端に生えているスベリヒユ、アカザを食べ川で魚をすくって食べましたし
 静岡城の外堀のアメリカザリガニも茹でて食べた時代でした。

征郎 様

 ドングリを東山の森へ拾いに学校から行き、それを粉にして固い黒いパンを給食で食べていました。
 家庭から弁当を持って行くことなんて親も至難だったでしょう。東山の農家の子でもサツマイモとか
 とトウモロコシだった。

ター 様

 何も無かったから喜んで食べました、しかし後世の人々がこのようなものを食べていた事を知っておいてほ しいのです、今の人々は昔の国の状態を知らずにいます。