2013年1月26日土曜日

井の頭公園


我が家付近から明治時代は井の頭弁財天へ馬車が出ていたので馬車道と名付けられた通りがあるほど昔からの名所。
僕が鳥見でお世話になる公園は弁財天も含まれ下賜された森や寄贈された土地もある複雑な成り立ち。池の端には縄文時代から人が住みつき鎌倉時代には合戦で祠が焼けたり江戸時代には三代将軍の庇護を受け以来江戸のすごい名所となったとググってみると説明されている。江戸から歩いて参詣に日帰りするには大変だったろう、日本橋まで三里はあるだろうし庶民は深川など下町に住んでいたからさらに遠いのだ。ここが神田上水の源で江戸の水道の水源だったから生活に重要な場所でもあった訳だが現在はそんな事があった場所だと知って遊びに来ている人は少ないだろう。

年明けも貧しさ同じ僕の春   枯沼

3 件のコメント:

三四郎 さんのコメント...

昔の人は健脚だったのですね(^^ゞ 日本橋から井の頭公園まで何里くらいあるのでしょ?

ター さんのコメント...

井の頭1丁目のアパートで世帯をもち、駅近くの銭湯へ通って、「石鹸カタカタ鳴った」時もありました。公園へは時々散歩しました。いいところですね。

さんのコメント...

三四郎 様

 桜の名所小金井へ日帰りで見に行ったそうですが星をいただいて出発し提灯をともして
 帰宅したのでしょう、すごい健脚ですね。
ター 様

 公園は昔の良さが消え失せています、長いスパンの計画を持たず小手先で改悪し続けた結果です。
 住民や納税者が担当して運営しないと他府県から通って来て役人としてでは目先の事したか見ない。
 今も予算が余ったからと大慌てで工事を何か所でもやっています。