丸谷才一さん
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ホトトギス coolpix p100 |
新聞で丸谷才一さんが亡くなったことを知った、氏は目黒にあった研究所へ通っている頃に目黒が筍の産地であった事、その由来を著書で教えてくれた方。勤務中にビルから周囲を見回すと茅葺きの元農家らしき家屋が一軒と茅葺きをトタンぶきに変えた家が一軒あり孟宗竹の藪が見えた、戦災で焼けなかった地域だったのだろう、何故この様な家屋が残っていたのか知らなかったがタケノコで納得できた。そして僕が読んだ唯一の著書「食通知ったかぶり」は今で言うグルメ本ではないが全国の旨いものを食べさせる店と美味いものを如何に美味いと文字で書く表現法を学ばせて貰った。肝心の本は転勤を繰り返すうちに誰に貸したか忘れてしまい手元にない、区の図書館で検索をかけてみたが行方知らずのようで読み返す事が出来ない。
僕は残念ながら氏がどのような作家だったのか代表作すら知らないが食べ物の旨さ、不味さなどの表現を巧みに表すことでは檀一雄さんと双璧だと記憶しているが30年も前のことで自信が無くなっている。
木犀や角を曲がれば又香り 枯沼
6 件のコメント:
旧研から見えましたか?ボクは気が付きませんでした。
興味がなかったからかも知れません。
丸谷作品は2冊ほど読みましたが、旧仮名使いをかたくなに使っているという印象がありましたねぇ。内容は忘却の彼方です。
仕事の取材で、一度お宅に伺ったことがあります。
ちょうど谷崎賞最終選考の日で、「う~ん、銀座でもご案内しなけりゃならないんですが、今日はちょっと……」と言いながら何度も時計を見たり、自分の著書名を間違ったり。谷崎賞とは、こんな大家でもそわそわ落ち着かなくさせるものかと、つい肩入れしたくなる気分でした。
しかし残念ながらこの年の受賞は、小島信夫氏の「別れる理由(わけ)」でした。
小説はどれも読んでいないが,
エッセイは見つけると読みました。
博覧強記で骨太の文章に
雑学がちりばめられていて
読んだあとで得をした感じです。
毎日新聞をとっているのは
彼が始めた書評欄が面白いからでした。
僕は3階でしたが仕事をせずに風景をよく眺めていたという訳ではありません。
元競馬の坂の左奥の方にありましたが緑に囲まれて目立たなかった。
ISI 様
凄いですね文豪が受賞されるかどうかの現場におられたとは、確か目黒にお住まい
でしたからタケノコの事を書かれた。残念会で銀座へ繰り出されたのですか。
治 様
僕は食通知ったかぶり以外全く知りません、多分本屋で手に取り難しかったから
読めなかったのかもしれません。
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